大人の階段を上る
ここ最近、娘のことでずっと悩んでいたことがあります。
発達障がいを抱える娘は、中学1年生です。幼稚園時代は特別支援学校の幼稚部で過ごし、小学校時代は地元の学校の支援級に通っていました。そして今は、地元中学の普通級に通っています。
娘にとって普通級で学ぶことは、かなりハードルが高いことだと私は思っています。普通級だから、みんなと同じペースで授業が進んでいくし、宿題もみんなと同じ量のものが出されます。
中学生、ただでさえやることが増えます。部活動も始まりました。そして、小学校時代といちばん違うのは、生徒自身の自主性に委ねられるということ。小学校時代は先生の指示に従っていればよかったのですが、中学生は自分で考えて動く場面が多い…娘にはこれがキツいようです。
夏休み明け、娘が急に学校へ行きたくない、いっそのこと死んでしまいたい…と言い出したときは、正直驚きました。やはり、今の生活は娘にとってギリギリであり、そこまで追い詰められてしまうんだなぁ…
私はこの頃から、来年度は支援級の方がいいのでは?と思うようになりました。疲れ果てて帰ってきて、泥のように寝てしまい、翌朝焦って宿題をやっつける…そんな生活を続けていても、学力なんてつかないし、意味がないと思っちゃったんですよね。
娘にそのことを話してみたら…普通級がいい!と言って、全く譲りません。やっぱり、みんなと同じがいい…その気持ちはよくわかります。でも、実際に心と体が悲鳴を上げているのが見ていてわかるので、私はそれ以降も話す機会があれば支援級を勧めてきました。
そうしているうちに、娘は私に学校のことをあまり話さなくなりました。支援級って言われるのが嫌なのはわかるけど…どうするのかなぁ。ずっとこのまま平行線って訳にもいかないし。
そして、そろそろ来年度どうするか?の希望を、学校に伝えなきゃいけない時期が来てしまいました。困り果てた私は、いつもお世話になっている児童ケアマネさんに連絡を取り、相談してみました。
親としての私の想いと、娘本人の希望と。ケアマネさんに話しているうちに…娘はもう子供ではない、大人への階段を上る時期なのかもしれない…という想いが、頭をよぎりました。
今までは、子供の頃からお世話になってきたリハビリの先生とか、放課後デイの先生とかを頼ってきました。でも、そういう場所に通ってくるのは小学校低学年の子たちが中心で、中1の娘はお姉さん的立場になってしまうんですよね。
今回、ケアマネさんに新たな放課後デイの事業所を紹介していただきました。そこに通ってくるのは中高生で、娘のように日々を悩みながら生活している子たちが集まっているとのこと。
今まで通っていた事業所さんとは、明らかにコンセプトが違う放課後デイ。家に帰って娘に話したら…行きたい!とすぐに飛びつきました。見学希望をお願いしたら、コロナの蔓延防止措置が解除されてから、とのことだそうです。娘は今から楽しみにしています。
娘が苦しんでいるのを間近で見ていると、親としてはどうしても手を差し伸べたくなりますし、アドバイスをしたくもなります。でも今は、娘のやりたいようにやらせてあげる時期なのかもしれません。私から見て、娘が明らかに遠回りだと思う道を選んだとしても、グッと堪えて見守ってあげたほうがいいのかもしれませんね。
そして…先日中学校へ行って、来年度も娘の希望通りに普通級で、とお願いをしてきました。中学の先生たちも、娘の特性をわかった上で見守ってくださるそうで、ありがたいと思いました。
幼稚園、小学校と、今までいろいろと支援を受けてきて、娘は心も体も大きく成長しました。そして今、娘は新たなステージに突入しているのかもしれません。
私も親として、今までとは違う意識を持って、娘を見守っていかなきゃな…
娘とともに、私も大人の階段を上る…一緒に成長していかなきゃ!ですね。
現実逃避のツール
中学1年の娘。発達障がいの診断を受けていますが、とにかく純粋で、不器用ながらも一生懸命なのが特徴です。
そんな娘、最近ハマっているのが文房具集めです。インターネットでハイスペックなシャーペンとかボールペンを調べて、貯めたお小遣いでそれらを買っては眺めて、実際に使い心地を確かめて、ご満悦の様子です(^_^)
時には何千円もするシャーペンを買うこともあって、パパはびっくりしていますが。自分のお小遣いの範囲で買っているのだし、別に問題ないかな?って私は思っています。
我が家はとっても狭いので、娘の部屋までは作れないのですが…年頃ということもあり、リビングの隣の部屋に勉強机を置いて、娘の勉強スペースにしています。普段はそこで勉強したり、自分の好きなことをしています。
でも、もともと物置として使っていたその部屋、エアコンなどの暖房設備がありません。勉強時に使える1人用のコタツを買いましたが、それでも寒いようで…結局娘は暖かいリビングに来て勉強をしています。
今朝娘は早起きをして、昨日やり残した宿題に取り組んでいました。私は台所仕事をしながらその様子を見ていましたが…娘はお気に入りのシャーペンを取り出して、眺めて、カチカチ動かして…なかなか宿題に取り掛かろうとしません。
おいおい、って思いながら、私はしばらく様子を見守っていました。そして、やっと宿題をやり始めたのは15分後!でも、やり始めたと思ったらまたシャーペンで遊び始めてしまいました。
私がこの時感じたこと。娘が文房具集めにハマったのは、きっと現実逃避をしたいから…勉強が嫌で、苦手で、それでもやらなきゃいけなくて…そんな気持ちの折り合いをつけるために、お気に入りの文房具を買い集めているのかも…そんな気がしたんです。
さて、そろそろみんなが起きる時間…さすがにもうタイムリミットです。あと10分経ったら、宿題終わってなくても勉強をやめて、ご飯食べて学校へ行く支度をしてね、と娘に声をかけました。
さらに…ずっと様子を見ていて、本当に勉強をやりたくないんだなぁって、よくわかったよ…と伝えたら、娘はそんなことないよ!と否定していました。
娘は今、なりたい自分と実際の自分とのギャップに苦しんでいます。みんなと同じようにやりたい、でも自分にはできない…発達障がい児の中でも比較的程度の軽い、グレーゾーンと呼ばれる子たちが抱えがちな悩みです。
確かに娘は学校の勉強にはついていけないかもしれませんが、それだけではない魅力をたくさん持っています。優しくて真面目で、思いやりがあって、反応が素直で、何でもチャレンジして…でも、学校での成績とか、テストの点数とかが悪いと、娘は自分をダメな子、できない子だと思ってしまい、せっかくの自分の魅力に目がいかないんですよね。
でも、思えば私自身もそうでした。自分の持っているいいところに気づくのには時間がかかりましたし、お金もかかりました。私の場合は天然石をたくさん買って、メッセージをもらって、本当かなぁ?と半信半疑になりながら、やっと自分に自信が持てるようになってきた…そんな感じです。
娘はきっと、自分のことを知るスタートラインに立っているのかもしれませんね。時間をかけて、自分と向き合って、これから自分の人生を生きていくのですからね。
学校に通っている今が、もしかしたらいちばん苦しいのかもしれませんが。娘お気に入りの文房具類が、その苦しみからちょっとだけでも逃れるための、現実逃避のツールなのであれば…私は母親として口出ししたい気持ちをグッと堪えて、黙って見守っておこうかなと思います。
荷物を下ろす
明日から子供たちは新学期です。息子は昨日までに宿題を終わらせて、今日は1日のんびりしていますが、一方て娘はまだ宿題がたくさん残っています。
今日中に宿題を終わらせなきゃいけないのに、一向に布団から出てこない娘…いつまで怠けていないで、いい加減起きなさい!と声をかけてみたものの、その場にうずくまって動けない娘…これはちょっと、普通じゃないかも…
娘のそばへ行って、一緒に座って話してみたら…娘が相当疲れ切っているのがよくわかりました。
娘は発達障がいを抱えています。小学校は支援級に在籍していましたが、本人の希望で中学は普通級で生活しています。でも、同級生たちと同じペースで勉強したり、部活や課外活動をするのは、娘にとってはかなりキツいことで…正直言ってキャパオーバーなんです。でも娘本人は、みんなと同じがいい!普通級がいい!と意地を張っている状態なんですよね。
そんな娘に対して…今のあなたは重い荷物を抱えすぎて、身動きが取れない状態になっているんじゃないかな?と、私が感じたことを伝えてみました。
娘同様に発達障がいを抱える弟は支援級なので、冬休みの宿題も本人に合わせた量のものが出されています。自分で計画を立てて、そこまで無理をすることなく終わらせることができました。一方で娘は、弟よりも宿題の量が多く、内容も難しく、それでも本人なりに少しずつやってはいるけれど…とても全部はやり切れないんですよね。
宿題がまだ終わっていないのにボーッと過ごしている娘を見て、息子は「まだ宿題終わってないの?明日から学校なのに!」と言ってきました。
確かに息子の言う通りです。娘はまだ宿題が終わっていないんです。でも実際に勉強している量は、娘のほうがはるかに多いんですよね。
だから…私は娘に、重い荷物を下ろして、もっとラクに楽しく生きることを提案しています。学校だって支援級を利用して、自分のペースで勉強して…苦しむことなく、もっと楽しく学校に通うことはできるんだよ!って、私なりに伝えてみました。
娘はひとまず、今日できる範囲で宿題をやってみるそうです。終わらせる必要はないよ、できることをやればいいよって、私は伝えました。
学校のこと、娘はこの先まだまだ悩んでいくと思いますが…私は繰り返し、でもしつこくならないようにタイミングを図りながら、娘に伝え続けていこうと思っています。
それにしても…私自身も、実はけっこう重い荷物を抱えすぎているんです。
進路に悩む娘のこと、ポータブルトイレに頼る息子のこと、大人になりきれないパパのこと、隣に住む自由奔放老人のおじいちゃんのこと、介護施設に入っているおばちゃんのこと、おばちゃんが独りで住んでいた家の後始末…あー重い!重すぎます。
私のほうこそ、いい加減荷物を下ろさなきゃ…ですね。
選択する権利と自由
発達障がいの診断を受けているうちの子たち。上の娘が幼いときは、初めての人や場所がとにかく苦手で、しょっちゅうパニックを起こしていました。我が家に人が来るのもダメ、どこかへ出かけるのもダメ。どうしても買い物とかで出かけなきゃいけないときは、あらゆる場面を想定して、心の準備をしてから出かけていました。あの頃、本当に大変だったなぁ…私自身が家で発狂してしまうこともよくありました。
そんな私たち親子を救ってくれたのは、当時通っていた療育施設や、特別支援学校幼稚部の先生たち。私は先生たちから、発達障がい児に対する受け止め方の基本を教わりました…というか、先生たちの姿を見て学んだという感じです。
今思えば、基本は2つ。とにかく子供に寄り添うことと、子供自身に選択をさせることです。
まずは寄り添うこと。特別支援学校幼稚部は、先生がほぼマンツーマンで子供についてくれて、この子が何をしたいのか?言葉の出ない子供たちの真意を必死に汲み取ろうとしてくれていました。子供たちも徐々に、その子なりの方法で、先生たちに自分の意見を伝えることができるようになっていました。
そして、子供自身に選択させること。まずは、朝の会で出席を取るときに、自分の名前のまわりにつける枠の色を選ぶことから始まります。ここで必ず「好きな色被り」が起きるのですが、そこをどう譲り合うのか?どうお友達とシェアするのか?を、時間をかけて答えを出します。
そして、その日の時間割内で、必ず子供たちに選ばせるものがあります。どの絵本を読むのか?とか、どんなことをして遊ぶのか?とか、ひとつひとつ子供たちが答えを出していきます。
年少さんの時には全く言葉が出ず、自分からは何もできなかったうちの娘が、年長さんになって劇的に変化しました。年下のお友達の面倒を見始めたのが大きなきっかけですが、信じられないくらいに積極的になったんです。やはり、とことん寄り添ってくれたことによる先生との信頼関係と安心感、そして自分で選ぶという経験を重ねてきたことが大きいのではないかと、私は思います。
そしてそんな娘も、今や信じられないほどにチャレンジ精神旺盛で、積極的な女の子に成長しました。
私は今も、以前先生たちに教わったことを大切にしながら実践しています。なるべく子供たちに寄り添って真意を汲み取る姿勢を持っているつもりですし、なるべく子供たち自身に選択をさせています。私が口を挟むのは、人に迷惑をかけてしまう場合と、命に関わる場合のみです。
子供たち自身に選択させること。たとえ言葉が出ない子たちであっても、選択肢を与えるなどして、極力自分で選ぶ環境を作ることで、その子が自分の人生を生きる意志が生まれてくると思います。
どんな子たちであっても、たとえ重い障がいがあったとしても、自分自身で選択する権利があり、自分で選ぶ自由があるはずです。
私たち大人が持っている常識なんて、今を生きる子供たちにしたら、案外くだらないことなのかもしれません…子供たちのほうが、実は大人よりも遥かに進んだ魂を持っているのだし、発達障がいを抱えている子ほど、その傾向が強いのですからね。
こんなはずじゃ…って思ったこと
うちの子供たちは、発達障がいの診断を受けています。最初にそう知ったときはショックを受けましたし、目の前が真っ暗になりましたが…発達障がいを前向きに捉える人たちとの出会いがあり、これも個性!とポジティブに考えられるようになりました。
それだけではなく、まわりの子たちと必要以上に比べたりせず、子供の成長そのものを喜べるようになりました。言葉が出た、トイレでおしっこができた、行けなかった場所に行けた、友達の輪に入れた…月齢とか年齢とかに関係なく、ひとつひとつの成長そのものを喜ぶことができたんです。
そして今。中学生になった娘は、地元の中学校の普通級で勉強や部活、委員会活動などを彼女なりに頑張っています。でも…もともと発達障がいを抱えている娘、頑張ってもうまくいかないことも多くあります。今いちばん悩んでいるのは、実は勉強のことです。
小学校のときは支援級在籍だったので、勉強でわからないことは個別に教えてもらっていました。そのおかげで、何とかみんなと同じレベルの内容についていくことができました。でも、普通級での一斉授業は、わからない内容でもどんどん進んでしまい…時には1時間ボーッと過ごして終わってしまうこともあるようです。
そんな状況なので、テストの点数も下がってきていて、娘も落ち込んでいます。点数を上げるには勉強しなきゃいけない、でもどう勉強したらいいのかわからない…そんな娘に、私は支援級に戻ることを提案しています。わからないことをじっくりと教えてもらう方がいいじゃん!って思うのですが、娘は支援級に戻るのがイヤなようです。お友達と一緒にいたい気持ちと、支援級そのものに対するネガティブなイメージとがあるようですね。
私は今まで、子供たちに「あなたは発達障がいです」と直接伝えたことはありません。その理由は、発達障がいという言葉そのものにネガティブなイメージがあって、そう知ることで自分のことを卑下してほしくなかったからです。
でも、もしかしたらそれが今、裏目に出ているかもしれません。自分の特性に何となく気づき始めている娘、でもその特性を受け入れたくない…だから普通級にこだわっているのかもしれません。
親としての想いと、娘の気持ちと。その狭間で今、私たちは揺れています。
でも、ふと気づいたのですが。私は今まで、子供自身の成長そのものを大切にしてきたはずです。まわりの子たちと比べる必要なんかない!って思っていたはずです。
それが、テストの点数ごときに振り回されて、娘の進路を悲観的に考えて…こんなはずじゃなかったんですよ。
勉強なんて、社会に出て最低限役立つ程度で十分だと思っていましたし、それよりも人間としての成長の方がずっと大事だって、今も思っているはず…なんですけどね。
今日実は、ホースセラピーでお世話になっている先生との定期面談がありました。そこで伺ったのは…放課後デイの預かりのときに、娘が子供たちの中でリーダー的な役割をしていること、困っている子やパニックを起こしている子にも積極的に話しかけてくれること、そんな娘が来るのをみんな楽しみにしてくれていること、先生たちも娘のことを頼りにしていること…とにかく、娘のことを褒めてくれたんです。この話を聞いて、私も親として誇らしく思いましたし、うれしかったんです。
そう、娘は着実に経験を重ねて成長しているんです。なのに、中学ではテストの点数や成績ごときに振り回されている現実…
学校って、何なんでしょうね。娘は学校で、何を学んでくるんでしょうね。できないことによる劣等感とか、自己嫌悪感を学んでくるんでしょうかね。
義務教育じゃなければ、学校なんて必要ない…心からそう思わされたひとときでした。
久々のピンチ…どうする?
発達障がいである中1の娘。小学校支援級のうちは何とか学校に通っていましたが、本人の希望で中学は普通級を選んだ結果、勉強も人間関係も上手くいっていないようで…
定期テストを控えた昨夜。きっかけはパパとの喧嘩でしたが、娘が家で久しぶりに大号泣してしまいました。そして、少し落ち着いた娘が私に話してくれたこと…
自分がこの先、就職して仕事をしてもボーッとしてばかりで、クビになってしまうのではないかと心配していること。
学校に行きたくないこと。
死んでしまいたいと思ったりもすること。
…これは、思った以上に重症です。
ひとまず私から伝えたのは、この世に生きてちゃいけない人なんて誰もいないということ。
学校は、どうしても嫌なら無理せず休んで構わないこと。
仕事に自分を合わせるのではなく、自分に合う仕事を選べること。あなたに合う仕事は必ずあるということ。
そして、中学生はたくさん悩む時期だということ。悩んで、泣いて、全然オッケーだということ。
でも、自分から死んでしまうと、ママができることが何もなくなってしまうこと。
あなたを愛している人とか、あなたの味方になってくれる人が、実はたくさんいること。
あなたが死んでしまうと、悲しむ人がたくさんいること。
何より、自分から死んでしまうと、本当にひとりぼっちになってしまうこと。
…そんな感じの話を、娘にしました。
ひとまず落ち着いて、テスト勉強して、寝て…今朝。
やっぱり学校に行きたくない…とは言っていましたが、結局自分で学校へ行くと決めて、学校へと行きました。
久しぶりに、ものすごいピンチです。でもこれは、娘が普通級を選んだ時点で予想できたこと…のはずですが、いざこうなってみると、私自身も落ち着きません。
ああ、落ち着かない。ザワザワします。
そして、久しぶりにオラクルカードを引いてみました。出てきたのは…A new earth(新しい地球)というカードでした。解説書にあるメッセージを読んでいたら、感情が溢れて涙が滲んできました。
長くなりますが、全文掲載させてもらいます。
***
新しい地球…夢は実現しつつあります・ビジョンを持ち続けましょう
今、あきらめてはいけません。あなたは自分が思っているよりずっと目標に近づいています。現代では、様々なことが崩壊し、信じる心を失ってしまう人が多いです。その中でバイブレーションを高く保つのは大変なことでしょう。このカードは、あなたが正しい方向へ進んでいるというサインです。あなたには物事の可能性を見出す能力があります。あなたが蒔いた夢の種の世話をしましょう。種が芽を出すイメージをしてください。信じる心を失わないでください。ずっと夢に集中していてください。
新しい種を蒔いて変化をもたらすことは簡単ではありません。そのためには、強い信念と革新的なビジョンが必要です。でも、それこそがあなたが地球にやってきた理由です。あなたは、祈りや瞑想をしたり、仕事、創作活動、新たなプロジェクトに携わったりすることで変化を起こすでしょう。これからも続けてください。あなたの夢は実現に向かっています。あきらめないでください。
世界にはあなたのような、希望とビジョンを持つ人が必要です。これから進む道は平坦ではないかもしれません。新たな時代を先導するのは容易ではないのです。でも、あなたの長年の努力がもうすぐ報われそうです。自分を疑わないでください。迷わずその身を捧げてください。きっと遠くない将来、あなたは自分が蒔いて大切に育てた種が成長し花開くのを、満足して眺めることでしょう。
どのように、あなたはビジョンを持ち続けられますか?
***
…このメッセージをもらって、今は苦しいけれど、頑張らなきゃ!と決意したというか、覚悟を持ちました。
自分を信じて、できることをやる!
私にできるのは、ただそれだけ…ですよね?
嫌われ者フィルター
発達障がい児と日々を過ごしていると、1日に一度は偏見の目に晒されます。学校で、買い物に寄ったスーパーで、私たち親子に向けられる目線…敏感に感じ取ってしまいます。
そんな毎日が積み重なると、知らないうちに「嫌われ者フィルター」を自分たちにかけてしまっているんです。私たちは変わっているから変な目で見られるのだし、結局は嫌われているのだ…と。
今までの私は、このフィルターを必死に無くそうとしていました。私たちは変わっているけれど、それはあくまでも個性であって、決して嫌われているのではない!私たちは私たち、堂々としていればいいのだ!…と。
でも、一生懸命フィルターを無くそうとしたところで…毎日偏見の目に晒されていると、嫌われ者フィルターは簡単に復活してしまうんですよね。
偏見の目なんて、気にしなきゃいいじゃん!って思うかもしれませんが。敏感に感じ取ってしまうし、気づいてしまう…これはもう仕方がないことです。
それならば。フィルターを必死に無くそうとしても無くならないのならば。いっそのこと、フィルター無くそうと思うのをやめりゃいいじゃん!って、思ったんです。
嫌われ者フィルターは存在する。そういう偏見があるってことを大前提にして、その上で…自分たちにとって何が大事なのか?を選んでいけばいいって、思ったんですよね。
私がいちばん譲れないのは、自分たちのユニークさを無くしてしまうこと。子供たちの、そして私自身の生まれ持った個性は、何があっても大事にしていきたいって思っています。
子供たちが通う療育施設の先生方、いろいろな方がいらっしゃるんですが、中には発達障がい児が持つ個性を潰してまでも学校や社会に適応させようとする先生がいます。うちの子たちはユニークすぎて、なかなかまわりの子たちに受け入れられない現状があるのですが、その先生は友達の輪に入ることや仲間を作ることを最優先させるんです。
これ、うちの子にとってはものすごいストレスなんですよね。個性が強すぎるから輪に入れないのを、個性を潰してまでも輪に入ることを強く勧めてくる先生…私はあまり意味がないと思っています。
そうではなくて、うちの子たちの特性を生かした生きかたを模索していけばいいと、私は思います。人と関わるのが苦手でも、個性が強すぎても、生きていく方法はあるし、できる仕事もあるはず…そこに関しては、絶対にブレることはありません。
まずは自分たちの心地よさを大事にして、まわりからの偏見の目は仕方ないとやり過ごして、とにかく自分たちが持つ世界観を大事にしていく…
今までは、まわりの人全体に対して敵対するような気持ちもあったのですが。嫌われ者フィルターを認めた上で、どうまわりの人たちと向き合っていくのか?
…そんなふうに考えていたら、何となく…嫌われ者フィルターが気にならなくなっていることに気づきました!
ダメな要素を消そう、無くそうとするのではなく、共存していくことで新たな展開が見えてくる…今はそんなふうに、少しだけ希望が持てるようになりました。